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「瞑想の極みに自己は消え、対象だけが残る」〜ヨーガスートラ第3章3節〜 – 名古屋市のヨガスタジオ | YOGA AMA(ヨガアマ)
ヨーガスートラ

「瞑想の極みに自己は消え、対象だけが残る」〜ヨーガスートラ第3章3節〜


こんにちは。
地下鉄本郷駅前の少人数制ヨガスタジオ「YOGA AMA」です。

何かに夢中になって、気づいたら時間が経っていた——
そんな瞬間、あなたの心はとても穏やかで、集中していませんか?
その感覚こそ、ヨガが目指す「サマーディ(深い瞑想の境地)」の一端です。

常に動き続ける心

スマートフォンや情報の洪水の中で、
私たちの心は一瞬たりとも静まることがありません。
“次のこと”を考え続け、頭の中では絶えず会話が続いています。
その状態では、今ここに集中することが難しくなります。

ヨガは、この「心の動き」を観察し、静けさへと導くための学びです。

ヨーガスートラ第3章3節の教え

Tad evārtha mātra nirbhāsam svarūpa śūnyam iva samādhih
「その瞑想が、対象のみが輝き、自己の形が消えたような状態になったとき、それがサマーディである」

サマーディとは、“対象だけが残り、自分が消えたように感じる状態”のことです。
それは、自己を忘れ、対象と一体になる体験です。

サマーディは、ヨガの八支則の最終段階に位置します。
それは、「集中(ダーラナー)」と「瞑想(ディヤーナ)」が深まり、
ついには“見る者(私)”と“見られるもの(対象)”の境界が溶けていく状態です。

私たちはふだん、「私が考える」「私が見る」と、常に“私”を中心に世界を捉えています。
けれど、その“私”を超えたところに、
ただ純粋な「存在としての静けさ」が広がっています。

レッスンでの実践

ポーズをとるときも、最初は「できているか」を気にしてしまうものです。
しかし、呼吸に集中し、体の内側の感覚に意識を向けるほど、
余計な思考が減り、動きと意識が一つになります。

その瞬間こそ、小さなサマーディです。
「うまくできた」ではなく、「感じること」に身を委ねる——
その練習を通して、心は静かに整っていきます。

日常のヒント

自然の音をじっと聞く。
花を眺めて呼吸を感じる。
その一瞬もまた、サマーディの入り口です。
「没頭する時間」を日常に取り入れることで、心は自由になります。

サマーディとは、特別な場所で起こる体験ではありません。
心が穏やかに“今”と一つになったとき、
私たちはすでに静けさの中に生きています。
その小さな瞬間の積み重ねが、深い瞑想へとつながっていきます。

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